名前 白須絵里子
京都府京都市在住
大阪府吹田市生まれ、
高槻市で育つ
生年月日 1959年8月8日
家族 夫 息子 2人
好きなこと 大人のバレエ、読書
バレエに役立つことなら、何でもまずやってみます。
カラダの繋がり、筋肉に興味があります。
自分でも、けっこうマニアックだと思ってます。
【資格】
■ 臨床検査技師免許
■ストットピラティス認定インストラクター(full)認定
マットだけでなくすべてのマシンを使って指導ができ、
かつ怪我、病気、傷害がある方へ対応するプログラムを受講して得られる資格。
産前産後のピラティス講座受講
リハビリテーションのためのピラティス講座受講
【著書】
■ 「45歳の女性が3が月でバレリーナのようなカラダになる秘密」
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【プロフィール】
==== 50代からバレエ体型を手に入れる五十路美体づくりトレーナー =====
足に障害を抱えながらも電器店を経営する父を持ち、 3姉妹の長女として生まれる。
高校時代はバレエを楽しむ日々を過ごす。
卒業後、手に職をつけた方がいいという両親の勧めから、
大阪府立公衆衛生専門学校に通い国家資格の臨床検査技師資格を取得。
1982年より京都府立医科大学付属病院臨床検査部に勤務し、
尿、血液、心電図等の検査を14年間で延べ2万2千人行う。
その後、2児の母となり子育ても落ち着きバレエを再開するも、
47歳の頃に腰痛に悩まされ接骨院の先生の勧めによりピラティスに出会う。
やがてウソのように腰痛が治りバレエを続けられるようになる。
指導者の勉強を始め、怪我、障害のある人へのプログラムを考えられるまでの知識を 深める。
2014年、パーソナルトレーナーとして独立。
医療や薬剤の基礎知識もあることから、
トレーナーが懸念しがちな持病がある人でもできるセッションを構築。
年齢を重ねてもバレエを続けたい、
バレエ体型を手に入れたいという女性に口コミで 広がり
医師婦人・エステシャン・薬剤師までが集まる人気となっている。
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【私の足あと】
私がピラティストレーナーになった理由
《目次》
第一章 バレエを習いたかった少女
第二章 子育ては自分を成長させるチャンス
第三章 突然訪れた退職の日
第四章 バレエ再開の日
第五章 バレエを続ける危機
第六章 「ピラティス」との出会い
第七章 年齢を重ねているのに疲れない・痛みがとれる不思議
第八章 ピラティス指導者の道
第九章 みるみる変わる70代の女性
第十章 「バレエ体型をつくる」ピラティスの誕生
第十一章 私の使命
私は大阪府吹田市に生まれました。
三姉妹の長女です。
父は小学3年のときに重い病気で脚に障害を負って当時は歩くことができなかったそうです。
温泉療養でなんとか歩けるようになりましたが、私が物心ついたときからひきずって歩くのが当たり前でした。
そういう理由から働きに出ることはできず、自営業でラジオ店と不動産の賃貸業をしていました。
よく私にはお金で苦労をさせたくないと言っていたので、両親のしつけは、友達と比べるとかなり厳しいほうだったと思います。
一方、母は話が大好きな人でとても明るい人です。80歳を超えた今でも元気です。
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子供のころの私たち三姉妹の画像です。中央が私です。 |
バレエを習いたかった少女
私はもともと運動が苦手です。
中学生のころは卓球をやっていたけれど下手でした。運動会はとても嫌でした。
そんな子供でしたけどただひとつだけやりたいことがありました。
それは「バレエ」です。
バレエは小学生の時から習いたかったものです。
理由はバレエ漫画「アラベスク」が大好きだったからです。
その気持ちが大きく揺れ動いたのは中学3年生のときです。
宝塚歌劇団のレビューを見た時に衝撃を受けたことがあります。
当時流行っていた漫画「ベルサイユのばら」の大ファンだった私は、その「ベルサイユのばら」が宝塚歌劇で上演されると聞き、両親に見てみたいと頼みました。
土曜日の学校を少し早退して父が車で連れていってくれました。
きらびやかで豪華な舞台には夢があり辛いことも悲しいことも忘れてしまうような、
心が解き放たれる世界観に衝撃を受けました。
宝塚歌劇を見て挑戦したくなり受験資格を調べました。
そこに「バレエ」があり、習いたいという気持ちが強くなったのです。
ところが近くに教室がありません。
この当時、バレエは親御さんが教室まで送り迎えするような敷居の高いものでした。
家の近くに教室はありませんし、両親は共働きなので送り迎えなど頼めるはずがありません。
子供の頃からずっと憧れていましたが、我慢していました。
代わりに日本舞踊を習いながらその機会を待っていました。
そして高校に入学した後、とうとうバレエを始めることができました。
習いたかったバレエを始めることができました。発表会のときの画像です |
ところがこのときに入所した教室はシニアクラスとは言え、高校生は私しかいないのです。
そのため小さな子ども達と一緒にレッスンを受けることになりとても恥ずかしかったのをよく覚えています。
子供ができても自分の人生をあきらめたくなかった!
母から「手に職をつけなさい」と言われていたので、私は臨床検査技師の資格を取ろうと大阪府立公衆衛生専門学校に進学しました。
看護師を両親から薦められていましたが、私は人と話すことが苦手なので他に無いかと探して
臨床検査技師を選びました。
学内での実習や病院実習が忙しくなりずっと続けていたバレエにも通えなくなりました。
1982年4月。
京都府立医科大学付属病院に就職しました。
この頃はモダンダンスにはまっていた頃です。
当時、近くのバレエ教室には大人クラスが無かったのです。
当時はジャズダンスが流行っていたので消去法で習うことを決めました。
仕事が終わってからスタジオに向かい、週2~3回1日3時間のレッスンを受けていました。
職場の雰囲気もいいし、仕事も楽しくプライベートも充実していたころです。
結婚、出産もしました。
私の世代の人ならわかると思いますが、この時代は「出産=(イコール)退職」という時代です。
私の勤めていた病院にもそんな雰囲気はありました。
でも私は仕事を辞めたくありませんでした。
公務員ですので制度としては保証されています。
当時は少数派ではありましたが出産してからも仕事を続けました。
同期では私が最初だったようです。
その後、私に続くように出産後に仕事を続ける人も現れたので、頑張ってよかったなぁと今は思います。
出産をした後も仕事を続けました。 |
子育ては自分を成長させるチャンス
結婚して妊娠した時、さすがにダンスは無理かなと思いました。
先生に相談したところ、「動きを選べば大丈夫よ」とアドバイスをもらい妊娠10ヶ月までモダンダンスのレッスンを受けていました。
そして長男を出産。
出産後6週目で子供を保育所に預け仕事に復帰しました。
一年半ほどして、忙しくても自分の時間もほしいと実家に子供を預け、土曜の夜はレッスンに通い続けました。
2人目を妊娠するまで、昼はフルタイムで働き、親の助けを借りてダンスに通いました。
子供はかわいいし子育ては楽しいけれど、自分を見失いたくない。
このころはそんな気持ちがどこかにありましたね。
しかしながら2人目の出産後は、さすがにダンススタジオに通う時間もなく仕事と育児に追われる日々でした。
突然訪れた退職の日
37歳の時の3月31日。
父から連絡が入りました。
父の経営する不動産賃貸業の管理会社を手伝って欲しいと言うのです。
私の妹が引き継ぐ話になっていたのですが、妹が今の仕事を辞めたくないと言い出し、私にやって欲しいというのです。
両親も高齢ですし、その事情はよくわかっていました。
そしてその頃、私は自分の子供たちとの時間が取れていないことにも罪悪感のようなものがあったのです。
特に長男は個性の強い子で、学童保育に馴染めずにいたころでした。
勉強は良くできており、雑学も豊富で女の子の友達はいました。
しかしながら私との時間を必要としている。
そう肌で感じていました。
とは言え仕事も楽しいし、職場の人たちはいい人ばかりでした。
そこを去らなければならないのは本当に辛かった。
でも自分のことだけを考えてはいけないと思い退職を決めました。
職場では退職をする人たちは、みな有給消化ということで長く休みをとってそのまま退職するという風潮がありました。
でも私はそんなことをする気持ちになりませんでした。
同僚や上司たちが、子供のいる私を普段から融通をきかせてくれていたからです。
自分が辞めることで、仕事の負担は彼らに大きくのしかかります。
それがわかっているので私は休み続けて退職する気になれませんでした。
そこで私は退職する日まで働き続ける選択をしました。
こうして私は14年間の臨床検査技師としての仕事にピリオドを打ったのです。
父の仕事を手伝うようになってから、私の時間はほとんどなくなりました。
仕事が終わってから家事をして主人と子どもたちの世話に奔走する日々です。
先ほども少し触れましたが、長男が個性的な子でしたので友だちがなかなかできずにいました。
そこで、読み聞かせをしたり彼の興味を持つことには徹底的に付き合ってあげていました。
主人は毎日帰りが遅く、家のことと子育ては自分がしなければなりません。
決して不幸なわけではないのですが、自分の時間が欲しい。
そんな気持ちが次第に積み重なってきました。
仕事・母・妻の3役をこなしながら子どもたちに全力で向き合ってきました |
バレエ再開の日
下の子が小学校に入学したころ、近所のバレエ教室で大人が参加できるクラスがあることを知りました。
そこで再びバレエをはじめました。
とは言え子供のことが優先で月に3回もいけばいいほうです。
それでもがんばって通い、上の子が大学受験の時には発表会に出ました。
スポットライトの当たる舞台で踊る快感は何事にも変えられない喜びがありますよね。
自分だけが脚光を浴びる瞬間ですから。
それは自分だけの時間を意味します。
50歳を超えた今でも未だにバレエをやめられないのはこのためかもしれませんね。
踊っているときは年齢も何も関係ない。バレエにはそんな魅力がありました |
バレエを続ける危機
バレエもポワントが履けるようになり、益々のめりこんでいきました。
レッスンの回数も増えて踊ることが本当に楽しくなりました。
しかしながら私も40歳を過ぎていたころです。
体がとうとう悲鳴を上げてしまったのです。
腰痛を発症し、整形外科に通いました。
ところが「40歳過ぎてバレエやっているの?それは無茶だよ」と言われてしまいショックでした。
あきらめきれない私は、友人に紹介してもらったとある接骨院に通うようになりました。
そこでは治療を受ければ痛みは少しひくけれど、すぐに痛くなるという状態を繰り返していました。
ちょうどそのころ、バレエの先生にはいつも『カラダが歪んでいる』と言われていました。
確かに足が棒のようで、自分のものではない感覚でした。
でも自分では知識がなく、どうゆがんでいるのか、どうしたらいいのか分からずにいました。
いったいどうしたらいいのかわからず悶々とした日々が続きます。
鍼や整形などいろんな先生にかかりましたが、なかなか思うように治りませんでした。
そんな時、接骨院の先生から「ピラティス」をすすめられました。
「ピラティス」との出会い
もともと「ピラティス」はバレエにいいことを知っていましたし、おもいっきりバレエをしたいというのがあったので通うことにしました。
「ピラティス」はフィットネスクラブのように単なる筋トレとは違います。
カラダの歪みをとり、日常生活のカラダのクセを修正して正しい動きを再教育するものです。
必要以上に力を使わなくても、楽に動けるようになるエクササイズです。
この頃私は48歳です。
ところがバレエとピラティス両方に通ってしまうと費用がかなりかさみます。
半年悩みましたけど、でもどうしても踊りたくて個人セッションに通い始めました。
週1で通いしばらくすると、腰痛がとれていくのです。
発表会の練習で4~5時間練習して痛みがでても、60分ピラティスをすると痛みは消えまた翌日踊れます。
どうしてなのかとても不思議でした。
年齢を重ねているのに疲れない・痛みがとれる不思議
そこで私は体のことをもっと知りたくなり、ピラティスの勉強を始めました。
なぜピラティスで治ったのか、その仕組みに我然興味が湧いたのです。
初めは身体のことを勉強して、自分で自分の身体をケアできるようになればいいかなという軽い気持ちでした。
この頃はまだ人に教えようなんていう気持ちは全くありません。
自分の体のため、バレエのために毎週ピラティスの個人セッションも受けていました。
片脚に乗る感じも変わり肩もひらき姿勢が変わり筋力もつきました。
以前に比べて、年齢は重ねたのにバレエのレッスンを受けても疲れないのです。
普段の姿勢も気にするようになり、バレエのレッスン前後のケアをすることでカラダも動きやすいし、ひどい筋肉痛もなくなりました。
運動が得意でもなくカラダの感覚の鈍かった私ですが、ピラティスを続けることで少しずつ繊細な感覚がわかるようになってきました。
私はこれまで京都で二人、大阪で一人の先生から学びました。
私がマニュアルどおりの指導をせずにお客さまの体に合わせてひとりひとりに合ったセッションを行うようになったのは大阪で教わった先生との出会いがきっかけです。
ピラティス指導者の道
ピラティスの先生の指導を受けている2年間でどうしてもわからないことがありました。
ピラティス専門マシンを使った指導練習のときに感じることなのです。
動きを教えるためには、先ず自分が出来た方がいいと思っていました。ところが動きが理解出来なかったのです。
それを先生に相談したところ、「人にピラティスを教えればわかるわよ」と言われたのです。
正直、「???」な感じでしたが、どうしても知りたかったので、私もピラティス指導をやってみようと思いました。
しかし指導未経験の50代後半の女性を雇ってくれるところなんてそうそうありません。
フィットネスクラブでも門前払いに近いような状態です。
3~4社打診しましたがすべて「NO」です。
あきらめかけていたとき、ちょうどピラティストレーナーを探しているスポーツクラブを紹介していただき業務委託契約をすることができました。
あきらめなければなんとかなるものですね。
みるみる変わる70代の女性
指導者としては初心者でしたけど、自分自身がそれまで2年間ピラティスの指導を受けていたこともあり「こうするといいのにな」という指導のポイントがありました。
そこを意識してパーソナル(個人)セッションを行うとお客さまがとにかく喜んでくれました。
一番自信につながっているのは70代の女性を指導したときの思い出です。
スポーツクラブで働き始めたある日、仕事を終えて帰ろうとしたときのこと。
その女性がジムのストレッチスペースで、ストレッチポールに仰向けになり、
一生懸命肩甲骨を動かそうとしていました。
ところがフォームが悪すぎて肩甲骨が全く動いていなかったのです。
それで、気の毒になってちょっとだけアドバイスをしました。
するとそのアドバイスをとても気に入ってもらえて、「来週から見てください!」ということになりました。
後から聞くと、グループレッスンで習った肩こりのための運動をしていたそうです。
しかし全く効かなかったそうです。
週1回お教えしたところ、みるみる変わっていきました。
友人に会うと体型が変わってきたのでビックリされたそうです。
彼女は水泳も習っていたのですが、水着姿なので目立つのでしょうね。
クビレが出て来て、お尻にも筋肉がついていました。
こっそり写真を撮ってほかの人に見てもらうと「この人、40代?」
と言われ、自分の指導でお客さんが変わることができるという自信がついてきました。
彼女からも「年齢なんて関係ないから、自分のやりたい事はやったほうがいい!」
と、アドバイスしてもらったのを忘れません。
これが私のピラティス指導の礎(いしずえ)になっている経験です。
「バレエ体型をつくる」ピラティスの誕生
その後私はパーソナルピラティストレーナーとして独立する決心をしました。
50代になってこんなに人生が変わるなんて自分でも驚きです。
最初はバレエをうまくなりたいという女性向けに指導していたのですが、次第に「白須さんのような姿勢も体型もきれいな人になりたい」という方が集まるようになりました。
お客さまには医師、歯科医師、大学の教員、高校教員、経営者、子育て中の筋肉、体力をつけたい主婦が集まるようになりました。
私もそうですが、40歳を超えればあちこち体に変調をきたすことになります。
しかも私の父は前述したように障害を抱えていた人です。
常に痛みを抱えて生きていたと言って過言ではありません。
痛みを抱えていると生活すべてがままならなくなります。
身体の痛みは歪みが原因の場合があります。
その歪みをとることで痛みもなくなり見た目もよくなります。
年齢に関係なく、肩、股間節、背骨、関節の動きがスムーズになるので動きやすいカラダになるのです。
すると、家事、仕事、運動がやりやすくなります。
私はケガや傷害、病気などリスクのある方のための講義を学んでいるので、ヘルニア、変形性関節症、妊婦、などのトレーニングができます。
持病がありお薬を飲んでいる方でも医師の許可があればお受けしています。
マシンが筋力のないあなたのカラダをサポートし、時には負荷となって、あなたのカラダを強化し
あなたがうまく動けるようにガイドしてくれます。
運動経験のない方でも全く問題ありません。
ピラティスでは、骨盤を正しいポジションに保って、背骨、脚、腕をたくさん動かします。
いきなり空間の中で動くのではなく、最初はセナカ、骨盤をベッドにつけた状態でトレーニングします。
これにより細くしなやかな筋肉をつけていきます。
そして「バレエ体型」を手にいれていただきます。
56歳の頃の私の画像です
私の出版した電子書籍『45歳の女性が3ヶ月でバレリーナのようなカラダになる秘密』
https://goo.gl/9sVpsj
にそのからくりが記載されていますので興味がある方は読んでみてください。
アマゾン、電子書籍メイクアップ部門新着ランキング第1位を獲得した書籍でもあります。
そんなこんなでおかげさまで私のセッションは、予約もとりにくい位の人気となっていて申し訳ないくらいです。
私の使命
私の人生は自分の意志ではどうしようもないことでやりたいことをやめなければならなかったり
人よりも遅いスタートを強いられた人生でした。
バレエを習えるようになったのも高校生の頃でしたし、子育てや親の仕事の都合で仕事を辞めなければならないときもありました。
ピラティストレーナーになったのも50歳を超えてからです。
今も親の介護と向き合いながら仕事をしています。
でも私は自分の人生をあきらめないで生きています。
それは私と同じような立場の女性たちでも本当はできることなのです。
家事・育児・介護などを抱えている女性たちが、自分のための時間を提供してあげようという思いが私のピラティスのセッションに込められている思いです。
姿勢がきれいになり、くびれができて、お尻がきゅっと引き締まっているバレエ体型を手に入れた女性が不幸になるはずがありません。
「どうしてそんなにいつまでもキレイでいられるの?」そんなことを言われている自分の姿を思い浮かべてほしいのです。
年齢をいい訳にしない、自分のやりたいことに挑戦する女性を応援するのが私の使命だと思っています。
そのために必要なのが健康で動きやすい身体。
それは綺麗な姿勢から得られると思います。
そして愛する子供たちに「お母さんのような生き方したい!」と思ってもらえるように私自身も輝き続けられるように精進したいと考えています。
長文をお読みくださりありがとうございました。
50歳からのバレエ体型づくりの専門家
白須絵里子